“みどりの日”をガチで受け止めた結果
■ 5月4日、都内の公園で異変が起きていた
「ありがとう、緑さん…」「いつも酸素、助かってます」
「芝生の皆さん、お疲れ様です」
そんな言葉が、東京・代々木公園や大阪・靭公園のあちこちで聞かれたのは、2025年5月4日の午後。
その日、日本では国民の祝日である**「みどりの日」**が、例年どおり穏やかに訪れていた――
はずだった。
しかし、SNS上では突如として奇妙なワードがトレンド入りしていた。
「#緑さんに感謝」
「#草にありがとう」
「#全緑集合」
その異常な盛り上がりの裏には、“みどりの日”の意味をガチで受け止めすぎた人々の存在があった。
■ 外国人観光客とAI翻訳が生んだ“勘違い感謝祭”
事の発端は、都内在住の外国人インフルエンサーが、5月4日朝に投稿したX(旧Twitter)への投稿だった。
“Today is Midori-no-Hi in Japan. A day to thank Green-san. Let’s go to the park and show our gratitude to the plants!”
(今日は日本の「みどりの日」。緑さんに感謝する日です。植物たちに感謝を伝えに公園へ行こう!)
この投稿が翻訳AIによって拡散される過程で、「Green-san(緑さん)」という言葉が、“自然”全体ではなく、人格を持った存在として解釈され始めた。
結果、「緑さん」は日本の緑界を代表する何かであり、「みどりの日」とはその緑さんに直接感謝を伝える日であるという解釈が爆発的に拡がってしまったのだ。
■ 草に語りかける、木に頭を下げる、土にキス
その結果、公園には異様な光景が広がった。
・芝生に正座し「あなたが地球を守ってくれている」と深々と頭を下げる外国人
・街路樹にハグしながら「あなたがいなきゃ酸素がない」と語るバックパッカー
・植え込みに花束を供えるカップル
・ベンチに座りながら土に向かって合掌する旅行者
ある中学生グループは、「俺たちも敬意を示すわ」と言いながら、人工芝にペットボトルの水を注ぎ続けていたという。
目撃した通行人によれば、「誰も笑ってなかった」「全員、目が本気だった」。
■ 地方にも拡がる“緑さん崇拝”
現象は都市部にとどまらなかった。北海道・帯広では「野原に向かって“Thank you Green”と叫ぶ人たち」が目撃され、
愛知・東山動植物園では「笹にお賽銭を置いていく観光客」が列を成したという。
さらに奈良県では、若草山のふもとにて、鹿ではなく芝に向かって記念撮影する観光客の姿がニュースに取り上げられた。
観光協会職員は困惑気味に語る。
「自然に親しむこと自体はありがたいんですが、ちょっと…芝が困ってると思います」
■ 本来の“みどりの日”とは?
「みどりの日」は、自然に親しみ、その恩恵に感謝するとともに、豊かな心を育むことを目的とした、日本の国民の祝日です。
もともとは昭和天皇の誕生日(4月29日)を「みどりの日」として制定されたもので、昭和天皇が自然をこよなく愛したことにちなんで名付けられました。
その後、2007年の祝日法改正により、4月29日は「昭和の日」に、そして「みどりの日」は5月4日に移動して現在に至ります。
農林水産省や自治体、自然保護団体などが、この日を機に植樹や清掃活動、自然観察イベントを行うなど、環境意識を高めるきっかけともなっています。
文化人類学者の木下弓子氏はこう語る。
「行き過ぎた解釈とはいえ、人が自然を“会話可能な相手”として捉え始めたのは興味深い進化です。自然と人間が“会話をしているつもり”になることが、逆に自然保護への共感を高める可能性もある」
■ AIの見解:“みどり”という言語の曖昧さ
言語処理AI「Tokino」Ver.11は今回の現象について、以下のような分析を出力している。
「“みどり”は色名でもあり、人格名にも変換可能な記号。日本語特有のあいまいな敬称語(~さん)との組み合わせにより、外国語話者が“キャラクター”として認識するのは自然な誤読」
つまり、「緑」という概念が、“個人名”として解釈されても不思議ではない構造になっていたというわけだ。
皮肉なことに、それが草に話しかける現象を引き起こしてしまった。
■ 今後:みどりの日が“第2のバレンタイン”になる可能性?
今回の盛り上がりを受け、アパレル企業や花屋などが「緑の日ギフト」「植物への感謝カード」などの商品展開を準備しているとの情報もある。
さらに一部のAIイラスト投稿者が、「緑さん」というキャラクターを創作。
“神秘的な葉っぱの髪を持つ精霊系女子”や、“ツタでできた鎧をまとう守護神風イケメン”などがSNS上に現れ始めており、
ファンアートが“緑界の二次創作”へと進化している兆しすらある。
■ まとめ:緑は語らない。でも、黙って見ている
「ありがとう、緑さん」――本来ならただの草や木に対してかけるべき言葉ではないのかもしれない。
だが、人々が草に話しかけたくなるほどに、自然を“誰か”のように感じ始めたのだとすれば、
それは一つの進化でもあり、ちょっとだけ危ない未来でもあるのかもしれない。
今も代々木公園の木の下では、1人の観光客がそっとささやいている。
「また来年も、会いにくるからね、緑さん」
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