笑いのフォーマットが時代と合わず再生不能に
「帰ってきた伝説」再起動が発表されるも、空気が凍る?
あのダウンタウンが、ついに帰ってくる――。
お笑い界の金字塔、ダウンタウン(浜田雅功氏・松本人志氏)が約2年ぶりにコンビでの芸能活動を再開し、今夏から新たなネット配信番組「ダウンタウンチャンネル(仮称)」を開始予定であることが明かされた。
歓迎の声が上がる一方で、番組の具体的内容や映像は一切明かされていないにもかかわらず、X(旧Twitter)では早くも議論が巻き起こっている。
ネット上では、
- 「たぶんテンポは昭和のままなんでしょ?」
- 「“もう一度”って何度目だよ」
- 「以前から時代とズレてる気がしていた」
など、期待よりも先に不安やツッコミが噴出。ハッシュタグ「#ダウンタウン再起動」「#フォーマット未対応」などが一時トレンド入りし、まだ何も始まっていない番組に対して、“笑いのフォーマット”をめぐる論争だけが先走っている状況だ。
なぜ話題になっているのか?
復帰のきっかけは、松本人志氏の「やっぱりお笑いをしたい」という発言だったとされる。
しかし、今夏から始まる予定のネット配信サービスでの復帰発表に、ネット上では早くも賛否両論が巻き起こっている。
配信サービス『ダウンタウンチャンネル(仮)』の構想は、「往年の“ガキ使”+最新のテック要素」だとされており、収録形式・内容共にまだベールに包まれているが、プロモーション動画の一部が公開されただけで、SNSでは次のような声が散見されている:
- 「このテンポ、まさか30年前と同じじゃないよね…?」
- 「浜ちゃんがフルHDになっても、笑いがアナログだったら意味ない」
- 「逆に“このまま突き進んでほしい”という気もする」
現段階ではまだ配信は行われておらず、“笑いのフォーマットが時代と合わず再生不能になるのでは”という懸念が先行して広まっている形だ。
現代の笑いに「互換性」はあるのか?
文化評論家の北村ジャスティン氏は、こう分析する。
「ダウンタウンの笑いは“空気”と“間”に支えられていた。しかし、今の視聴者はその“空気”を知らない。代わりに1.5倍速で流れる短尺動画に慣れてしまっている。
『浜ちゃんが殴るのを待つ松ちゃん』では、テンポが遅すぎるし、そもそも“殴る=笑い”という文化がもう通用しないんです」
TikTokやYouTube Shortsのように、一発でオチを見せ、共感かツッコミを誘う構造が主流の現在、ダウンタウンの「ボケを泳がせる」タイプの構成は若年層には「長すぎてオチがどこかわからない」という印象を与えてしまう。
どうすべきだったのか?
ダウンタウン復帰の方向性として、専門家が挙げるのは以下の3つ。
1. 「古さ」を逆手に取るべきだった
「令和に昭和の笑いを持ってくる逆輸入コント」という開き直り戦略のほうが、むしろ新鮮だった可能性がある。
2. 若手との“混合バトル構成”
サンドウィッチマンやかまいたちなどの現役世代と共演することで、今の笑いとのハイブリッド化が図れたはず。
3. 松本の“哲学モード”解禁
今ではすっかり「構文製造機」として定着している松本人志氏の思索的コメントを前面に出し、SNSで“深読み系バズ”を狙う路線もアリだった。
それでも“古い笑い”は終わらない?
とはいえ、笑いに正解はない。
事実、同番組には一部熱狂的ファンがついており、コメント欄では「今のTVは毒がなさすぎる。これぞお笑い」「放送コードを越えてきた伝説」など、一定の支持も存在する。
また、配信2回目からはアニメパートの導入やAI生成漫才など、微妙に“アップデート”の兆しも見られており、制作サイドは「週1でパッチを当てていく予定」と発表している。
配信がこの夏に開始予定であるにもかかわらず、批判も期待もすでに先行しているという点で、ダウンタウンの復帰劇は特異だ。番組内容が本当に“古い”のか、あるいは現代人が“笑いの耐性”を失っているだけなのか――その答えは、配信開始後に明らかになるだろう。
まとめ:再生はできる。でも、更新は必要だ。
今回の“アップデート失敗”騒動は、単に一つの芸人コンビの復帰という枠を超え、文化的タイムラグの衝突を象徴する事件となった。
時代に合わせるのか、時代をねじ伏せるのか。
“ダウンタウン”というOSが、令和のプラットフォームで再び動き出すには、互換性と挑戦心の両方が求められる。
少なくとも、「とりあえず再起動」では、現代のネット社会では通用しないようだ。
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